厚底のシューズについて。
今日も相変わらずランオフしてしまいました。流石に明日あたりには初走りをしたいなって思っているところです。さて、昨日まで箱根駅伝についての記事を書いてきました。今年は往路、復路共に感動させられ、記録面でも素晴らしかったです。ネットニュースにそのような記事が報じられている一方で、厚底のシューズが席巻って書いてある記事も見られます。この記事が僕には良く分かりません。確かにナイキのヴェイパーフライとか、良いシューズなのでしょう。高いシューズで有ることに違いはありませんが、他にも高いシューズはありますし、市販の靴で、みんな買える環境なのに規制するのはどうなのでしょうか?あと、そんなにメディアは厚底シューズが記録の要因だと誤解させるような記事を出す必要あるのでしょうか?
昔は、裸足で走っていた時代もありました。オリンピック金メダリストのアベベ選手などもその例です。それから、足への負担を軽減したりするために靴が作られました。靴は月日を追うごとに進化していき、レースの為に薄い靴が出てきたり、トレイルランの為に滑らない靴が作られたり、ジョギングの為のシューズが作られたりしました。選手たちは、その中から靴を探して、自分が速く走れると思うような靴を選んできました。その中で、薄底の靴を履く人が多かった訳です。そこに、ナイキの厚底シューズが出てきました。みんなその厚底シューズの方が速く走れると思ったから、みんながそのシューズを買い、箱根駅伝で大多数が使用した。
何かおかしいところがあるのでしょうか?自分が速く走れるような靴を選びたいのは、ランナーとして全員が思うことです。それが全員同じ靴に行き着き、全員が同じ靴を履いたとしても、それは何もおかしいことではありません。
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ナイキの厚底シューズの使用率が高かった。
その効果もあってか、区間新記録が続出した。
何かだめ?わざわざ書くこと?
今までも区間記録を更新した人は、自分が速く走れるような靴を選んできて走ったはずです。そこに技術の進歩が加わり、それを後押しした。いつの時代でもあることだと思います。それをあえて大々的に取り上げるなんて。
国際陸連も、これまでも靴の技術の進歩が記録の向上を支えてきたことは間違いないはずなのに、なぜナイキの厚底シューズだけを取り上げるなんて、おかしくないですかね?
記録が向上したのは、選手が頑張ったからです。
靴はそれをただ後押ししただけに過ぎません。
選手の努力よりも先にそういうことを書くのが信じられません。
「選手は1年間この箱根の為に精一杯努力してきて、必死に走った。その結果、区間新記録がたくさん出た。それを多くの人が履いていたナイキの厚底シューズが後押しした。」といったニュース記事ならまだしも、「箱根駅伝で選手のほとんどが厚底シューズを履いて区間記録が数多く更新されたことが注目されている。」とかいうニュース。
選手の努力は?それが1番じゃん。
シューズが大切な訳じゃない。
気持が無くて、努力しなきゃ区間新記録なんて出るわけない。
それを伝えていないので、記録は靴のせいだって言う誤解を国民に与えてしまっていると思う。
今日、親とか親戚と箱根駅伝の話をしたが、今年の箱根駅伝、すごかったね。までは良いんですけど、あの靴すごくない?ですよ。
靴が結果を出したわけじゃない。
努力が結果を出した。
そこを書かずに厚底シューズにだけ焦点を当てて考えるのはどうなんでしょう?
青山学院は、去年東海大に連覇を阻まれ、悔しい思いをした。
そこから必死に努力して、今年再び頂点に立った。
その努力にもっと注目しませんか?
靴の記事めちゃくちゃ多いんですけど。
頑張った選手にケチつけて面白いですか?
選手が、「靴のお陰で記録向上」なんていうのを読んだらどんな気持ちになりますかね?
そういう記事を読んでいてすごい不快になります。
選手が、頑張ったのに、それを差し置いて、靴が良かったなんて言ってる人。
大学生は必死に努力してやってる。
その努力にもっと目を向けた記事が増えることをすごく祈っています。
いくら厚底でも必死な努力無しには好成績は残せませんよね。
箱根駅伝の記事を読んで思ったことを書きました。
来年は厚底が多くて…って言う記事より、選手の努力の記事を読みたいと思う人は僕意外にも多いかなと思います。青学の吉田選手とか読みたい。